「繊細さん」という言葉に出会った

夫から「繊細さん」の本を渡された。

私に当てはまるようなことがたくさん書いてあった。

私はきっと昔から、生きづらいなあ・・・という気持ちに蓋をして生きてきた。

学校でも授業で当てられることが嫌すぎて、日にちが自分の出席番号の日がとてつもなく憂鬱だった。よく当てられる日だからだ。

一文ずつ交代で音読するのも、グループディスカッションも、その席に慣れてきた頃に行う席替えも、クラス替えも、憂鬱だった。

あの頃は特に「憂鬱なこと」として認識していなかったと思う。

ただ思い返すと、幼稚園は不登校気味だったし、小学生になってからは、登校時間になるたびに「行きたくない」「お母さんと離れたくない」とほぼ毎日泣いていた。

近所に住んでいた何個か年上のお姉さんに手を繋いでもらって、渋々学校へ向かう毎日だった。そんな記憶がある。

当時はその心の中のモヤモヤの正体や原因は、特に追求していなかったから深くは考えていなかった。

20代半ばを過ぎた頃から、「職場での過ごしにくさ」「仕事が続かないこと」を考えだすようになり、考えなくていいことも考え過ぎてしまう性格なの歌詞しれないと感じるようになった。

結婚と同時に引っ越しをし、親も友達もいない。仕事もなく、彼氏から夫となったパートナーとの暮らしも初めてで、ひとりの時間もナビを使わないと近くのスーパーにさえ行けない。何なら車も買いかえたばかりという・・・

良く言えば何もかもが新鮮で、

悪く言えば安心できる場所がない状況だった。

最初は四六時中アドレナリンがたくさん出ていて、あまり眠れなくても、夫に気を遣っても、毎日料理をしても、何とも思わなかった。

いや、当時は多少何か思うことがあったのかもしれないが、振り返るとそこまで心にダメージを負ったような記憶はない。

思い返せば「初めてしかない」生活をただやり切る。そんな毎日だった気がする。

生活に何となく慣れてきた頃。

引っ越して来てから初めてのパートがあまり稼げないと感じ、事務職へ転職。

お給料は上がったが、しっかり引継ぎをしてもらえない状態で前任者が退職。仕事を理解できない状態で残業の日々。

体力的にも精神的にも参ってしまい、退職。

「お金」「時間」「やりたいこと」何をとっても何かしらに不満が生まれ、ストレスを感じ、辞めてしまう。

最初は、ガラッと環境が変わったことに対するストレスかな〜なんて思っていたけれど、そうも思えない気がしてきた。

辞めて来た理由や、今まで自分が何にストレスを感じやすいのか、何が苦手なのか。いろいろ振り返ったときに気づいた共通点は「人間関係」だった。

ある程度コミュニケーション能力はあるのに、自分にとって何が足りないのか?いろいろ考え、自分にとっては精一杯だけど、本当はただの甘ったれなのだろうか。と悩んだ日も多かった。

そんなある日、夫から本を渡された。

その本を読んでから、自分が考える自分の長所と短所の大半が「HSP気質」ということに当てはまることが判明した。

「自分」という人間の性質を、初めて俯瞰して見ることができたような気がしたし、自分が感じていた生きづらさや、自分の得意としていることなどがスッキリと全てが言語化されていて、改めて自分を知ることができたような気がした。

それに加え、「自分だけじゃない」という心強さも感じることができた。

だからと言って、自分が苦手としていることや、他の人と比べて上手くできないことを「HSPだから」という理由で開き直ってはいけないと思う。なのでその言葉に甘えて、それだけで片付けてしまおう。という思考になったわけではない。

むしろ、今までの人生で感じてきたこの言葉にできないような「生きづらさ」の正体が分かり、視界がクリアになった。

こういうことが苦手。こういうときは、こうすれば少し改善される。など。対策方法を知れたり、同じような人がたくさんいることも知れて、何だか不思議な気持ちになったことを覚えている。

要するに、言語化がいかに大事か。を学んだ瞬間だったような気がしている。

正体が分からないモヤモヤした良く分からない感情のような性格のような・・・それが何なのか分かると、自分を理解することも、対策を練ることも、無理してしなくていいことさえも分かった。

「繊細さん」という言葉に出会ってから「言語化」の大切さを学べたと思っています。

それがきっかけとなり、日々感じたことや思ったことを言葉にしたり、今まで経験したことなど様々なことを記録として記したりすることで頭の中を整理するようになりました。

それが私のブログを始めてみようと思ったきっかけでもあります。私のブログを読んでいただいた方に、私の過去の経験が役に立てたりしたらとても嬉しいです。


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